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ダウンズビルってどんなとこ?

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観光地として有名なケアンズより南へ350キロ。国内線で50分、車で3時間半。
人口約19万人で、クイーンズランド州北部の行政都市。グレートバリアリーフのちょうど中心部にあることから、海洋関連の研究機関も集まっています。早くから商業都市として栄え、天然資源や牛肉をはじめ様々なものが現在も日本を中心に輸出されています。

タウンズビルのハーバー

現在、在住日本人は150~200人。留学生やワーキングホリディの方々を入れても200人を超える程度と言われています。タウンズビルより人口が小さいケアンズでは、その数は2000人とも言われていることから、いかに日本人、日本語が少ない場所であるか想像できると思います。こういった環境により、英語学習には最適な場所です。

日本とタウンズビルの歴史

1896年、タウンズビルにオーストラリアで初の日本領事館が設置されました。
19世紀後半、真珠貝の養殖でTorres Strait Islands(オーストラリア北部の島々)に、和歌山県串本町、鹿児島県などを中心にダイバーとしてたくさんの日本人が出稼ぎに来たのが始まり。その後、一部の人々が本土へ移り、サトウキビ農場等で仕事を得るようになりました。第二次世界大戦が勃発すると、全員強制収容所に送られたそうですが、それまでは約900人の日本人がいたという記録があります。その名残で、タウンズビルには日本人のお墓があったり、日本の名字をもつアイランダー(島の原住民)の人もいます。

第二次世界大戦中に、日本軍がオーストラリアまで侵攻した際に、タウンズビルには3つの爆弾を落としています(いずれも人に被害はなし)。タウンズビルよりフェリーで30分のマグネティック島には、Fortという見張り台があります。戦時中にオーストラリア軍とアメリカ軍が日本軍侵入の見張りとして作ったもので、現在ではそのFORTまでのハイキングコースで野生のコアラを見ることができます。
また、終戦後の日本の復興支援として、オーストラリア軍からもBritish Commonwealth Occupation Forceとして兵士達が日本へ送られ、そのメンバーだった方々もまだご健在。日本滞在中に日本人の友人を作り、帰国後も親交を深めたそうです。

終戦後は、両国の努力により関係が修復され、いまや政治・経済面のパートナーとして重要な関係にあるだけでなく、文化交流なども盛ん。タウンズビルでは、日本語クラスをもっている学校も多く、親日家も多いです。福島県いわき市と山口県周南市が姉妹都市になっています。

気候&ライフスタイル

“Dry Tropics”と言われるタウンズビル周辺は、年間300日以上が晴天に恵まれる温暖な気候。夏は25-35度、冬は15-25度。沖縄の気候に近いと思われます。

12月から3月は雨季で、この時期に集中して雨が降り湿度が高く、それ以外の時期には雨は降らず乾燥しています。1年をとおして日差しが強いので、サングラスと日焼け止めは必需品。

冬は朝晩10度前後になることがあるので、この時期はセーターやジャケットを持参した方が良いでしょう。ですが、コートなど厚くて重い冬物衣料は必要ありません。

1年を通して暖かいので屋外にテーブルを置くカフェやレストランも多く、アウトドア・バーベキューも盛ん。週末には、友人宅に集まってパーティをすることも多く、ワイワイがやがや楽しくやるのがオージー流です。

経済

タウンズビルを支える主な収入は、西部にある鉱物の採掘・精製・輸出、ビーフ、果物、野菜類の生産と輸出。

19世紀後半、金を初めとする多種の鉱物の発掘、さとうきびの生産により大型船が寄港できる港を建設し、早くから商業都市として成長。

現在では、石炭、濃縮亜鉛、精錬銅、精錬ニッケル、肉製品、砂糖の多くが日本へ輸出されています。